▼企業情報
社名:三和乃俵株式会社
設立:2014年10月
役職:代表取締役
住所:大阪市北区鶴野町3-9-3905
URL:https://www.miyorinotawara.com
▼事業内容
レストラン事業、百貨店総菜販売事業
店舗:
阪急うめだ本店みわ屋
大阪市北区角田町8-7 阪急うめだ本店12F
南森町店みわ屋
大阪府大阪市北区南森町1丁目4-19
サウスホレスト B1F
会社の誕生
「世界を相手にした仕事をしたい」
子供の頃に見た『スチュワーデス物語』がきっかけで、飛行機のパイロットに憧れていました。 中学生の頃にアメリカに行く機会があったのですが、飛行中に機内で仲良くしてくれたスチュワーデスさんがこっそりコックピットに入れてくれた事がありました。 コックピットから見た目の前の世界に震える程感動しました。 それからはパイロットを目指したのですが、残念ながら視力が悪くて夢を諦めざるを得ませんでした。
大学卒業後、世界を飛び回る仕事を諦めきれず、9年間大手商社で貿易や不動産の仕事をしていましたが、休みも無く家族との時間も取れない日々を過ごしていました。 そんな時、勤めていた会社の隣にあった東京消防庁のヘリパイロットの方と話す機会があり、矯正視力でもパイロットになれることを知り、手に職をつける仕事をしたいと思ったと共に、「二度とない人生、お金だけの人生よりも、やりたい人生を送りたい!」と強く思い立ち、思い切って商社を退職し、ご縁のあったヘリコプターパイロットスクールに転職しました。そこでは主にヘリコプターを使用したイベントの営業や、航空機免許を取得するための座学教習を主に行っていました。
リーマンショックの際に、経営が悪化し、当時の彼女(現在の妻)と相談したところ、彼女の協力もあって、二人で食っていくぐらい何とかなるだろう、ということで、渡米を視野に入れて、退職をしました。
その時、ヘリコプター会社時のインストラクターであった元教官の方が、みわ屋本店(岐阜)の社長とヘリコプター仲間であり、みわ屋本店もスタッフを探しているということで、私を本店に紹介して下さり、二人で岐阜の上空をヘリで回ったあと「是非うちで一緒に夢を叶えないか」と海外出店を目指されていた社長から熱烈に口説かれて、有り難く勉強させて頂くこととなり、みわ屋本店に入社することになりました。
数年後、「牛まぶし」で知名度のある「みわ屋」に、阪急うめだ本店から催事の出店依頼があり、大阪出身の私が店長として出店しました。
関西でも「みわ屋」ファンが多く好評で、出店の中では幸いにも一番の売上でした。これだけ売れるのであればと、本店の社長から大阪に出店を薦められ、阪急にプレゼン資料を作り、持って行きました。数か月後、阪急の方から空きができたので、この場所でどうですか?という出店の依頼がありました。海外出店前に、先ずは、阪急うめだ本店で出店して経験を積んからでも遅くないのではないか?ということで、「牛まぶし」を看板メニューに、2014年10月に創業しました。 2019年に南森町店をオープンして、現在2店舗です。
入会のきっかけ
経営を始めてから、売上の伸び悩み、スタッフの不正行為などもあり、悩んでいました。経営の相談する相手もなく、妻に何でも話していました。 妻は経営者の団体に入るよう勧めてくれましたが、どこに入ったらいいのかわかりませんでした。そんな時、高校の同窓会があり、同級生の鈴木康弘君(当時堺市倫理法人会副専任幹事、現在堺市御陵倫理法人会事務長)と現状の情報交換をしたところ、鈴木君にお誘い頂き、堺市のナイトセミナーに参加しました。当時、講話者は木村雅法人スーパーバイザーでした。木村法人スーパーバイザーのご講話で共感することも多く、そして阪急に入っている「みわ屋」のこともご存知でいらっしゃり、翌日のモーニングセミナーで入会しました。
転機となるような学びは?入会してよかった?
17か条の中の「苦難福門」です 。スタッフがたて続きに辞めたことがあり、阪急との契約を不義理にすることも出来ないため、店を継続していくために、3、4か月休まずにプレイヤーとして現場に立ち、全力で働く時期がありました。そんな折、こういう人が居るんだけど雇ってもらえないか?ここで働きたいんだけど、働かせてもらえないか、と良い人とのご縁を繋げて頂けるようになったんです。 二宮尊徳先生の「たらいの水」のように、水を自分の方にかきよせると、逃げる。どなたかの講話でも、水が満杯入ったコップには、それ以上入らないけれど、空きがあれば、その分だけ入れることができる、伸びしろがある、と仰っていました。出せば入ることを実感して、本当に有難いな、と思えるようになりました。
倫理法人会で学ぼうとしている経営者のみなさんへのアドバイス
現状に胡坐をかかず、コツコツやっていくことが近道で、一生勉強していくことが大事だと思います。 そして、明るいところに、皆さん寄ってくるので、明朗であれば、お客様もスタッフも寄ってきます。 私は、夫婦愛和を心がけ、妻には何でも話しています。倫理で学んだことや仕事であった出来事なども家に帰って妻に話しています。アウトプットすることで、より学びを深めることができました。妻はよく聴いてくれて、共感し、そして興味を持ってくれて、今は妻も入会してくれました。当初妻も一人も友達がいない大阪に付いてきてくれて、とても感謝しています。
今後のビジョン
当初の夢を実現するためにも、「牛まぶし」を名物料理として、海外出店することです。現在アメリカの西海岸トーランス、ラスベガス、ホノルルから出店のお話を頂いています。現地調査や資金繰りなど越えなければいけないハードルは幾多もありますが、「おいしさは幸せに向かう」をモットーに、お話のあるエリアには一つずつ社会貢献をしていけるよう頑張りたいです。そして、福利厚生の一環として、 現地のスタッフを日本に連れてきて、また日本のスタッフを現地に派遣して、お互いに交流を深めてもらい、広く世界を見られるスタッフを育んで行きたいと考えております。 それを実現するのが、本店への恩返しであり、また未来の若者への恩送りになると信じております。また独立する時に出資して頂いた商社時代の先輩、応援していただいた方々への恩返しでもあります。 何事もやってみないとわかりません。これから失敗もあるかもしれませんが、失敗を糧にして、失敗は成功の基!を信じて、決して諦めずに、 子供のころの夢であった世界を相手にした仕事を実現し、実践し続けていきます。
【取材 松森圭子(大阪北区倫理法人会幹事)/鬼窪哲也(大阪北区倫理法人会幹事)/坂本由季(大阪北区倫理法人会実行委員)】
【写真 Syoji photo 山本祥司/大阪府倫理法人会広報副委員長】
(松森圭子幹事)
子供の時に思い描いた「世界に羽ばたきたい」夢を持ち続けて、商社、ヘリコプターパイロットと変えて、次は「牛まぶし」で世界に羽ばたこう、というお話はとてもドラマチックでした。
その根底には謙虚さと感謝の気持ちが常にあると感じました。
そして純粋な心で実践し、目標に向かってチャレンジをされるお姿にとても励まされます。
(鬼窪哲也幹事)
いつも明るく朗らかな表さん。
今回初出しのお話を沢山聞かせて頂いて、トレンディドラマが一本書けるような内容でとてもワクワクしながら取材させていただきました。
表さんは何らかの不思議な力が働いたと仰っていましたが間違いなくそれまでの表さん自身の仕事への向き合い方や、お人柄によるものだろうと感じました。
これからの世界への進出を楽しみにしております。
(坂本由季実行委員)
表さんのみわ屋誕生秘話、それまでの紆余曲折などとても興味深い内容でした。
どんなときでも支えてくれた奥様の内助の功、倫理での学び
まさに万人幸福の栞が表さんの人生を重ねて聞いていました。
何歳になっても夢に向かってチャレンジする表さん陰ながらですがこれからも応援させていただきたいと思いました。
海外出店の夢もぜひ叶えてください。
【表敬太郎氏の所属単会/大阪北区倫理法人会/幹事】
※記事中の所属や役職およびインタビュー内容は、取材当時のものです。